
得体の知れない生物の夢が持つ基本的な意味については、こちらの夢占い記事で解説しています。
この記事では、なぜ「正体のわからない生き物」が、夢の中で言葉にならない不安と、まだ気づいていない可能性の両方を映すのかを、「不気味さ」の正体を探った心理学と科学の視点、そして、わからないものに名前と物語を与えてきた日本の妖怪の文化から、掘り下げてみます。
まず取り上げたいのが、精神分析の創始者フロイトが1919年に発表した論文「不気味なもの」です。
ドイツ語で不気味を意味する「ウンハイムリッヒ」は、「家庭的な、なじみのある」という意味の言葉に、否定の「ウン」がついた形をしています。
フロイトはこの言葉の成り立ちに注目し、人が本当に不気味だと感じるのは、まったく知らないものではなく、かつてなじみがあったのに心の奥に押し込められていたものが、見知らぬ姿をまとって戻ってきたときだと考えました。
得体の知れない生物の夢に、どこか懐かしいような、見覚えがあるような感覚が混じっていたなら、それは、忘れたつもりでいた気持ちや記憶が、形を変えて戻ってきているのかもしれません。
一方、ユングは、この「わからないもの」を、もう少し先の可能性として捉えました。ユングのいう「影(シャドウ)」は、自分では認めたくない性質や、まだ生かされていない自分の一面のことです。
影は、夢の中で見知らぬ存在として現れ、はじめは恐ろしく見えますが、向き合い、受け入れることで、その人を豊かにする力に変わるとされました。
フロイトが、得体の知れないものの中に「押し込めた過去」を見たのに対して、ユングは「まだ出会っていない自分」を見たといえるでしょう。夢の中の生物から逃げていたのか、それとも近づいてみようとしていたのか。その違いが、あなたがいま向き合おうとしているのが、過去なのか、これからの自分なのかを教えてくれます。
心理学の外からも、「不気味さ」について興味深い指摘がされています。
1970年、ロボット工学者の森政弘は、ロボットの見た目が人間に近づくほど親しみは増していくものの、あるところで急に、かえって強い不気味さを感じる落ち込みが生まれると指摘し、これを「不気味の谷」と名づけました。
まったく違うものより、似ているのにどこか違うものの方が、人の心をざわつかせる。これは、フロイトが見抜いた「なじみのあるものが変わって現れるときの不気味さ」とも、響き合う考え方です。
では日本の人々は、正体のわからないものと、どう付き合ってきたのでしょうか。
日本では、説明のつかない出来事や、姿の見えない気配に、「妖怪」という名前と姿を与えてきました。
江戸時代の絵師、鳥山石燕は、1776年に刊行した『画図百鬼夜行』で、言い伝えの中の妖怪たちを一体ずつ描き、名前をつけて図鑑のようにまとめています。
名前がつき、姿が描かれることで、得体の知れないものは、恐ろしいだけの存在から、語り、楽しむことのできる存在へと変わっていきました。
民俗学者の柳田國男は、多くの妖怪は、かつて信仰されていた神が、時代とともに力を失い、零落した姿ではないかと考えました。
『平家物語』に登場する鵺も、その一つです。夜ごと御所の上に現れ、帝を悩ませた怪物は、源頼政に射落とされると、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という、どの動物ともいえない姿をしていました。
ところが、室町時代に世阿弥が作ったとされる能『鵺』では、この鵺の霊が旅の僧の前に現れ、退治されたときの悲しみや、闇の中をさまよう苦しみを語ります。
恐れられ、退治された「得体の知れないもの」の側にも、語るべき思いがあった。物語は、そう教えてくれているようです。
押し込めた過去と、まだ出会っていない自分。似ているのにどこか違うものへのざわめき。そして、正体のわからないものに名前と物語を与え、その声に耳を傾けてきた日本の人々の知恵。得体の知れない生物の夢は、あなたの中にある、まだ名前のない何かの声を、そっと聞いてみるよう誘っているのかもしれません。
ここまでの内容をもとにした、夢の意味をたどる創作ストーリーは、こちらの夢物語でお楽しみいただけます。
よくある質問
得体の知れない生物に、なぜか懐かしさを感じたのはどうしてですか?
フロイトの「不気味なもの」の考え方に立てば、夢の中の生物が、かつてなじみのあった何かと結びついている可能性があります。
子どもの頃に大切にしていたもの、言えずに飲み込んだ気持ち、しばらく思い出していなかった人との記憶などが、形を変えて現れているのかもしれません。
怖さよりも懐かしさが勝っていたなら、それは、置き去りにしてきた自分の一部を、もう一度迎え入れる準備ができてきたサインとして受け止めてみてください。
夢に出てきた生物に、自分で名前をつけてもいいのでしょうか?
名前をつけることは、得体の知れないものと付き合うための、昔からの知恵でもあります。鳥山石燕が妖怪に名前と姿を与えたように、夢の生物に呼び名をつけてみると、漠然としていた不安が、少し扱いやすい大きさに感じられることがあります。
どんな名前がしっくりくるかを考えるうちに、それが自分のどんな気持ちに似ているのかが見えてくるかもしれません。
絵に描いてみるのも、よい方法です。

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