【夢ことほぎ】冤罪の夢の心理学的意味|由来・背景

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【夢ことほぎ】冤罪の夢の心理学的意味|由来・背景

冤罪の夢が持つ基本的な意味については、こちらの夢占い記事で解説しています。

この記事では、なぜ「身に覚えのない罪」が、夢の中でこれほど強い恐怖として現れるのかを、疑われる側と疑う側、それぞれの心を見つめた二人の研究者の視点と、人々が「本当のこと」を確かめようとしてきた歴史から、掘り下げてみます。

疑われ続けると、記憶まで揺らぐ

一つ目の視点は、アメリカの心理学者ソール・カッシンです。カッシンは、無実の人がなぜ罪を認めてしまうのかを研究しました。

1996年に発表された実験では、参加者にパソコンの入力作業をしてもらい、あらかじめ「このキーを押すと故障するので、押さないように」と伝えておきます。

そのあと、実際には誰も押していないのに、パソコンが止まったことにして、参加者に疑いをかけました。

すると、約7割の人が、やっていないことを認める書面に署名し、中には、本当に自分が押してしまったのだと信じ込む人までいたのです。

強く疑われ続けると、人は、自分の記憶さえ信じられなくなってしまうことがある。カッシンの研究は、そのことを示しました。

世の中は公正だと信じたい心

二つ目の視点は、カナダで研究を続けた心理学者メルビン・ラーナーです。ラーナーは、人には「世の中は公正にできていて、悪いことが起きた人には、それなりの理由があるはずだ」と信じたがる傾向があると考え、これを「公正世界信念」と呼びました。

ラーナーらの実験では、罰を受けている人を見せられた参加者が、その人を助けられないと分かると、かえってその人を低く評価してしまうことが報告されています。

理不尽な出来事を目にしたとき、人は「あの人にも落ち度があったのだろう」と考えることで、自分の心の安心を保とうとするのです。

カッシンが「疑われた人が、自分を信じられなくなる心」に目を向けたのに対して、ラーナーは「周りの人が、疑われた人を信じられなくなる心」に目を向けたといえるでしょう。

自信を失う夢、信じてもらえない夢

冤罪の夢の中で、だんだん自分でも本当にやったような気がしてきたなら、あなたの心は、自信を失いかけているのかもしれません。

誰に訴えても信じてもらえなかったなら、周りから正しく理解されていないという寂しさが、夢に現れているのかもしれません。

では、人々は、何が本当なのかを、どのように確かめようとしてきたのでしょうか。

熱湯に手を入れる「盟神探湯」

古代の日本には、「盟神探湯(くかたち)」と呼ばれる裁きがありました。『日本書紀』によれば、允恭天皇の時代、人々が家柄を偽って名乗ることが増えたため、釜で湯を煮え立たせ、その中に手を入れさせたといいます。

正しい者の手は無事で、偽る者の手はただれる。真偽の判断を、神にゆだねたのです。ヨーロッパの中世にも、熱湯や焼けた鉄を使って罪の有無を確かめる「神明裁判」が行われていました。

しかし、無実の人が傷つくことへの疑問も強まり、1215年の第4ラテラン公会議で、聖職者がこうした裁判に関わることが禁じられると、少しずつ姿を消していきました。

罪を着せられ、天神となった菅原道真

人の手で下された誤った裁きが、のちに大きく覆された例として知られるのが、平安時代の菅原道真です。

右大臣にまで上りつめた道真は、901年、天皇の位をめぐる企てを疑われ、遠い大宰府へと追いやられました。

そして、都に戻ることのないまま、2年後にその地で亡くなります。その後、都で落雷や災いが相次ぐと、人々はそれを道真の無念と結びつけて恐れ、やがて北野の地に道真をまつりました。

罪を着せられた人は、のちに「天神さま」としてあがめられ、いまでは学問の神として、多くの人に親しまれています。

信じてもらえない苦しさと、自分を信じられなくなる怖さ。神にゆだねられた裁きと、長い時を経て晴らされた無念。冤罪の夢は、あなたがいま、誰かに分かってほしいと願っていること、そして何より、あなた自身が自分の正しさを信じてあげられているかどうかを、そっと問いかけているのかもしれません。

ここまでの内容をもとにした、夢の意味をたどる創作ストーリーは、こちらの夢物語でお楽しみいただけます。

よくある質問

冤罪の夢で、だんだん自分が本当にやったような気がしてきました。

カッシンの研究が示すように、強く疑われ続けると、人は、自分の記憶さえ揺らいでしまうことがあります。

夢の中でそう感じたなら、いまのあなたは、周りの声に押されて、自分の考えや判断に自信を持てなくなっているのかもしれません。

目が覚めたら、自分が実際にしてきたことを、一つずつ思い出してみてください。積み重ねてきた事実は、あなたの味方になってくれます。

冤罪の夢の最後で、疑いが晴れました。

最後に疑いが晴れる夢は、いま抱えている誤解や行き違いが、時間とともに解けていくことを表していると読むことができます。

菅原道真が、長い時を経て天神さまとしてまつられたように、正しいことは、いつか必ず形を変えて届くものです。

夢の中で疑いが晴れたとき、どんな気持ちになったかを思い出してみてください。その安心感が、現実でも、自分を信じて進む力になってくれるはずです。

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