【夢ことほぎ】幽霊の夢の心理学的意味|由来・背景

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【夢ことほぎ】幽霊の夢の心理学的意味|由来・背景

夢に出てきた幽霊を思い出してみてください。その幽霊に、足はありましたか。

多くの人が、裾のあたりがすうっと消えている姿を思い浮かべるはずです。けれど、なぜ幽霊には足がないのか、なぜ怪談は夏のものなのか、そしてなぜ見知らぬ怪物より、見慣れた人の姿をした幽霊のほうが怖いのか。考えてみると、はっきり答えられる人は多くありません。

場面ごとの夢の意味は、幽霊の夢の夢占い記事にまとめています。ここでは、江戸の絵師と芝居小屋、そしてウィーンの精神分析から、私たちの心に住みついた幽霊の姿をたどってみます。

足のない幽霊はいつ生まれたか

足のない幽霊は、江戸中期の絵師・円山応挙から始まった、という話がよく知られています。この説は、文政十二年(1829年)の随筆『松の落葉』に書かれているものです。

けれど、近世文学と芸能史を研究した諏訪春雄は、別の事実を指摘しています。応挙が生まれる六十年ほど前、寛文十三年(1673年)の浄瑠璃本の挿絵に、すでに下半身のない幽霊が描かれていたというのです。

諏訪は、芝居の影響にも目を向けました。歌舞伎の舞台では、幽霊役が「漏斗(じょうご)」と呼ばれる、裾のすぼまった衣装で足を隠していたといいます。

また美術史家の辻惟雄は、岩佐又兵衛の『山中常盤物語絵巻』に描かれた常盤御前の姿が、のちに応挙が描く幽霊図の原型になっていると指摘しています。

つまり足のない幽霊は、ひとりの天才が思いついたものではありませんでした。本の挿絵、芝居の衣装、絵巻の中の女性の姿。何十年もかけて、たくさんの人の想像が重なってできあがった姿なのです。

足を消したことで、幽霊は「この世の地面を踏まない者」になりました。生きている人とどこか同じ姿をしながら、どこか決定的に違う。その小さなずれが、見る人の背筋を冷たくしたのでしょう。

幽霊が夏にやってくる理由

夜の古い石畳の町並み

日本の怪談を代表する『東海道四谷怪談』は、四世鶴屋南北の作で、文政八年(1825年)七月、江戸の中村座で初めて上演されました。

夫に裏切られて命を落としたお岩が、恨みを抱いて現れる物語です。顔が崩れたお岩の髪梳きの場面や、戸板の裏表に死者が現れる「戸板返し」、提灯の中から現れる「提灯抜け」といった仕掛けが、観客を震えあがらせました。初演でお岩を演じたのは三代目尾上菊五郎で、一人で何役もすばやく演じ分ける「早替り」も、この芝居の見どころでした。

七月は、お盆の月でもあります。迎え火をたいて亡き人の魂を家に迎え、送り火で見送る季節に、芝居小屋でも死者が舞台へ帰ってきたのです。のちにこの初演の日にちなんで、七月二十六日は「幽霊の日」と呼ばれるようになりました。

日本の幽霊は、どこか遠くから来る怪物というより、一度は身近にいた人が、帰ってくる姿として語られてきました。

見慣れたものが怖くなるとき

月明かりが差しこむ夜の窓

精神分析の創始者ジークムント・フロイトは、1919年に「不気味なもの」という論文を書きました。

ドイツ語で「不気味な」を表す unheimlich という言葉は、もともと「家の」「慣れ親しんだ」を意味する heimlich に、打ち消しの un がついたものです。フロイトはここに注目し、人がいちばんぞっとするのは、まったく知らないものではなく、よく知っていたはずのものが見知らぬ顔を見せたときだと考えました。

フロイトは、この感覚を最も強く呼びおこすものとして、死や死体、死者の帰還、霊や幽霊を挙げています。さらに、「不気味な家」という言い方は、ほかの言語では「幽霊の出る家」と言いかえるしかない、とも書いています。

フロイトは論文の中で、哲学者シェリングの言葉も引いています。「不気味なものとは、秘められ、隠されたままであるべきだったのに、表に出てきてしまったもの」。

フロイト自身の答えも、これに近いものでした。不気味さの正体は、かつてはよく知っていたのに、心の奥に押しこめて忘れたことにしていたものが、ふたたび帰ってくることだというのです。幽霊が怖いのは、それが見知らぬ誰かだからではなく、忘れたつもりの何かだからなのかもしれません。

anima
anima

怖いものの正体は、たいてい、昔の自分が置いていったものなの。

だから、少しだけ懐かしい顔をしているのよ。

住みなれた家、見なれた家族の顔、昨日まで話していた人。それが少しだけ形を変えて現れるとき、私たちの心は理屈より先に身がまえるのです。夢は、その身がまえを、いちばん正直な形で映し出します。

夢に戻る

足のない幽霊は、たくさんの人の想像が重なって生まれた姿でした。四谷怪談のお岩は、お盆の季節に帰ってくる身近な死者でした。そしてフロイトは、怖さの正体を、見慣れたものが見知らぬものに変わる瞬間に見つけました。

夢に出てくる幽霊も、まったくの他人ではありません。忘れたつもりの出来事や、置いてきた気持ちが、少し形を変えて帰ってきた姿です。幽霊の夢を見た朝は、その幽霊が「誰に似ていたか」「どこに立っていたか」を思い出してみると、怖さの奥にある、見慣れた何かが見えてきます。

怖がられてばかりの幽霊が、怖くない出方を見つけるまで。

幽霊の夢をめぐる創作ストーリーは、こちらの夢物語で読むことができます。

参考文献

  • フロイト『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』中山元訳、光文社古典新訳文庫、2011年
  • 和樂web「円山応挙は何で幽霊を描いたの? 幽霊画を鑑賞する前に読みたいおすすめ3冊」(https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/21905/)
  • コトバンク「東海道四谷怪談」(https://kotobank.jp/word/東海道四谷怪談)
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