
気がつくと、私は深い森の入り口に立っていた。
見上げるほど大きな木が一本、森の真ん中にそびえている。太い幹から、数えきれないほどの枝が四方へ伸び、その一本一本の先が、霧の向こうへ消えていた。
「迷われましたか」
声のした方を振り向くと、白い着物の人が立っていた。年齢のよくわからない、穏やかな顔をした人だった。手には、つやのある緑の葉をつけた枝を一本持っている。榊の枝だ、と、なぜかすぐにわかった。
「ここは、枝折りの森。あなたの選べる道が、枝になって伸びている場所です」
番人だ、と私は思った。
「枝の先には、あなたが選ぶかもしれない未来が実っています。のぞいてごらんなさい」
私は、二十六歳になる今年、迷っていた。いまの会社でデザインの仕事を続けるか、祖母がひとりで切り盛りしている小さな和菓子屋を継ぐか。どちらも大切で、どちらかを選べば、もう一方を切り捨てることになる気がして、答えを出せずにいた。
番人に導かれて、私は一本目の枝を歩いた。
枝の先には、満開の花が咲いていた。花の向こうに、広いオフィスで大きな仕事を任され、拍手を受けている私の姿が見える。胸が高鳴った。
「花の咲く枝は、願いが叶う未来です」
けれど、よく見ると、花の陰には、ほとんど誰も来なくなった和菓子屋の、閉じたままのシャッターが見えた。
二本目の枝の先には、たわわに実がなっていた。店先で、祖母の隣に立ち、季節の和菓子を並べる私。売り切れの札を出して、祖母と笑い合っている。
「実のなる枝は、努力が実を結んだ未来です」
番人の声はやさしかった。でもその未来の私は、ときどき、デザインの本をなつかしそうに眺めていた。
三本目の枝は、途中でぽきりと折れていた。その先で、私は会社と店の両方を抱え、夜遅くまで働き、眠れずに座り込んでいた。
「折れた枝は、無理を重ねすぎた未来。全部を背負おうとすると、枝は重さに耐えられません」
四本目の枝は、葉も花もなく、乾いて枯れていた。その先には、どちらも選べずに時間だけが過ぎ、何もかもをあきらめた私がいた。
私は、思わず目をそらした。
「選ばずにいることも、ひとつの選択なのです」
番人は、榊の枝で、そっと枯れ枝をなでた。
「怖がらなくていい。枯れた枝も、根が生きていれば、また芽吹きます」
森の奥へ進むほど、道は複雑に分かれていった。来た道がわからなくなりそうで、足がすくむ。
「迷わないように、しるしを残しなさい」
番人に言われて、私は細い小枝を折り、分かれ道の枝に結びつけた。一本、また一本。
「昔の人は、山道でこうして枝を折り、道しるべにしました。それを『枝折り』といいます。のちに、本にはさむしおりの名にもなりました」
自分で折った枝が、歩いてきた道に、点々と並んでいく。それを見ていると、不思議と心が落ち着いた。迷いながらでも、私は確かに、自分の足でここまで歩いてきたのだ。
やがて森の一番奥で、私は足を止めた。
二本の木が並んで立っている。幹は別々なのに、高いところで、互いの枝がからみ合い、一本の枝のようにつながっていた。
「これは、連理の枝。別々の木の枝がつながって、ひとつになったものです。昔の唐の詩人は、決して離れない深い結びつきを、この枝にたとえました」
つながった枝の先には、見たことのない未来が実っていた。
祖母の店の古い木の看板の隣に、私がデザインした新しい包み紙が並んでいる。季節の花をあしらった、やわらかな色の包み。それを手に取ったお客さんが、うれしそうに笑っていた。店の奥では、祖母が、私の描いた図案を眺めて、目を細めている。
「どちらかを切り落とさなくても、よかったんだ……」
声に出したとたん、胸の奥で固まっていた何かが、ほどけていくのがわかった。
番人は、手にしていた榊の枝から、若葉のついた小枝を一本折って、私に差し出した。
「剪定とは、枝を減らすことではありません。どの枝を育てたいかを、決めることです。あなたの枝を、育ててごらんなさい」
私が小枝を受け取ると、森を包んでいた霧が、すうっと晴れていった。
――目が覚めると、窓の外が白みはじめていた。
夢だった、と思いながら体を起こすと、枕元に、何かが落ちていた。
若葉のついた、小さな緑の枝だった。
窓が少し開いていたから、風で舞い込んだのかもしれない。理由はわからない。でも私は、その小枝をそっと拾い上げた。昔、大洪水のあとに、鳩がくわえて戻ってきた若葉が、水が引いたしるしになったという話を、どこかで聞いたことがある。この小枝も、私にとっての、迷いが引いていくしるしのように思えた。
その日、私は会社の帰りに、祖母の店に寄った。
「おばあちゃん。お店の包み紙、私にデザインさせてくれない?」
祖母は、少し驚いた顔をして、それから、ゆっくりとうなずいた。
「あんたの絵なら、きっとお客さんも喜ぶよ」
家に帰って、新しいスケッチブックを開いた。最初のページに、あの小枝をはさむ。
迷ったら、ここを開けばいい。自分で折った、私だけの道しるべが、ちゃんとここにあるから。


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