【夢物語】刈り残し|鎌の夢

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【夢物語】刈り残し|鎌の夢

ざくり、という音で、私はその夢に入る。

夕暮れの田んぼだった。どこまでも続く黄金色の稲穂が、風もないのに、さわさわと揺れている。空は熟れすぎた柿のような色で、太陽はいつまでも沈まない。

ずっと遠く、田んぼの端に、誰かが立っていた。腰をかがめ、手にした鎌で、稲を刈っている。

ざくり。ざくり。

一株刈るたびに、その人影はほんの少しだけ、こちらへ近づいてくる。

はじめてその夢を見た夜、私は気にも留めなかった。二日目の夜、人影は昨日より三列ぶん近くにいた。三日目の夜には、手ぬぐいで顔を覆っているのがわかるほどの距離になっていた。

四日目の夜、私は気づいた。稲の一株一株に、小さな白い札が結ばれている。

札には、文字が書いてあった。

「送別会の幹事」
「Mさんの愚痴を聞く係」
「断れなかった休日出勤」
「本当は行きたくない食事会」

どれも、私の字だった。

札の結ばれた稲は、どれも重たげに穂を垂れていた。実りすぎて、茎が今にも折れそうにしなっている。刈り取られないまま、季節だけが過ぎてしまった稲の匂いがした。甘いような、少し饐えたような匂いだった。

この一年、頼まれるたびに「大丈夫です」と引き受けてきたことが、そこに一株ずつ、稲になって実っていた。見渡す限りの田んぼが、全部、そうだった。

ざくり。

振り向くと、人影がすぐそこにいた。

私と同じ、灰色のカーディガンを着ている。私と同じ、少し猫背の立ち方をしている。手ぬぐいの隙間からのぞく目元に、見覚えがあった。

毎朝、鏡の中で見ている目だった。

「刈らないの」

その声は、私の声だった。

「あなたが刈らないから、ここはもう、いっぱいなの。実りすぎて、倒れかけてる」

人影は、足元の一株に鎌をあてた。札には「妹との長電話」と書いてある。

「待って、それは」

ざくり。

稲が倒れた瞬間、胸の奥で、何かがぷつりと切れる感覚がした。妹の笑い声が、急に思い出せなくなる。

人影は、次の株に鎌をあてた。「日曜の朝の散歩」。その次は「好きだった絵を描く時間」。

「全部、刈ってあげる。あなたが選べないなら、私が全部」

ざくり。ざくり。

「やめて!」

叫んだ私の手に、いつの間にか、ひやりと重いものが握らされていた。鎌だった。

人影が、鎌を手放したのだ。

「なら、自分で選んで」

手ぬぐいの奥で、私と同じ目が、じっとこちらを見ていた。

手が震えた。刃は夕陽を映して、ぬらりと光っている。私は目の前の株を見た。「断れなかった休日出勤」。

鎌をあてる。思っていたよりも、ずっと軽い手応えだった。

ざくり。

稲は、ため息のような音を立てて倒れた。その瞬間、肩に乗っていた何かが、ふっと軽くなった。

もう一株。「本当は行きたくない食事会」。ざくり。

もう一株。ざくり。

刈った跡に、黒い土が顔を出す。そこから、ほんの小さな青い芽がのぞいていた。刈り取った場所には、次の何かが育つ余白ができるのだと、私はそのとき初めて知った。

顔を上げると、人影は少し離れた畦道に立って、こちらを見ていた。もう、近づいてはこなかった。

目が覚めると、奥歯がじんと痛んだ。一晩じゅう、食いしばっていたらしい。

その日、私は上司に「今週末の出勤は、できません」と伝えた。心臓が口から飛び出しそうだった。けれど上司は、「あ、そう。じゃあ別の人に頼むね」とだけ言って、パソコンに向き直った。

それだけのことだった。

その夜から、あの田んぼの夢は見ていない。

ただ、ときどき、眠りに落ちる直前に、遠くのほうで音がする。

しゃり、しゃり。

誰かが、砥石で鎌を研いでいる音だ。

刈り残しは、まだあるよ。

そう言われている気がして、私は明日の予定表を、もう一度だけ見直す。

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