
どうして人は、羽もないのに夢の中で空を飛べるのでしょう。腕を広げたり、地面を軽くけったりするだけで、体がすっと浮かび上がる。教わったことも練習したこともないのに、夢の中の私たちは、まるで昔から知っていたかのように飛び方を覚えています。
場面ごとの夢の意味は、空を飛ぶ夢の夢占い記事にまとめています。ここでは、空を飛ぶ夢がどれほど多くの人に見られているのか、心の研究者はそこに何を見たのか、そして空にあこがれた昔の人々の物語を、たどってみましょう。
多くの人が見る「典型夢」
夢の研究では、住む国や年齢がちがっても、多くの人が共通して見る夢を「典型夢」と呼びます。
カナダの睡眠研究者トア・ニールセンたちは、2003年、カナダの三つの大学で1,181人の新入生に、55種類の典型的な夢を見たことがあるかをたずねる調査を行いました。その中には、追いかけられる夢や試験の夢とならんで、「空を飛ぶ・宙に舞い上がる夢」も、くり返し見られる典型夢の一つとして挙げられています。
追いかけられる夢や落ちる夢が不安と結びつきやすいのに対して、空を飛ぶ夢は、心地よさや解放感とともに語られることの多い夢です。怖い夢ばかりが印象に残りがちな典型夢の中で、空を飛ぶ夢は、多くの人が共有している数少ない「うれしい夢」でもあるのです。
フロイトが見た、子どものころの記憶
オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは、1900年に出版した『夢判断』の中で、空を飛ぶ夢や落ちる夢を、多くの人に共通する典型的な夢として取り上げました。
フロイトは、こうした夢の源を、子どものころの体の記憶に求めています。大人に抱き上げられて宙に放り上げられたり、ぐるぐると揺らされたりする遊びは、子どもにとって、わくわくする楽しさとちょっとした怖さが入りまじった体験です。夢の中で空を飛ぶとき、私たちはその遠い感覚を、体のどこかで思い出しているのではないか、とフロイトは考えました。
この見方がどこまで正しいかは、今も議論が分かれます。けれど、空を飛ぶ夢の心地よさが、守られながら自由に体を動かしていた幼いころの記憶とつながっているという考えには、どこか納得させられるものがあります。

誰かに高く抱き上げてもらった記憶、あなたにもあるかしら。
覚えていなくても、体はちゃんと覚えているのかもしれないわね。
天へ帰る羽衣

日本で空を飛ぶ物語といえば、羽衣伝説を思い浮かべる人も多いでしょう。
天から舞い降りた天女が水浴びをしているあいだに、その羽衣を人間に隠されてしまい、天へ帰れなくなる。羽衣伝説は日本各地に伝わっていて、最も古いものは『近江国風土記』の逸文に記された、滋賀県の余呉湖の話だとされています。
静岡県の三保の松原にも、漁師が松の枝にかかった美しい衣を見つける羽衣伝説が残っています。衣を返してほしいと頼む天女に、漁師は天の舞を見せることを条件に衣を返し、天女は舞いながら空へ帰っていきました。この話は能『羽衣』の題材となり、今も多くの人に親しまれています。
羽衣は、天と地を行き来するための翼のようなものです。人々は、自分には手の届かない空へ、衣ひとつでふわりと帰っていく天女の姿に、自由へのあこがれを重ねてきたのでしょう。
本当に空を飛ぼうとした男
夢や物語の中だけでなく、本当に空を飛ぼうとした人もいました。
江戸時代の岡山に、浮田幸吉という表具師がいました。表具師は、紙や布でふすまや掛け軸を仕立てる職人です。幸吉は仕事の合間に鳥の体のつくりを観察し、紙と竹で翼をこしらえました。
岡山市の資料によると、天明5年(1785年)の夏、幸吉はその翼を身につけて京橋から飛び降りたと伝えられています。どれだけの距離を飛んだのかははっきりしませんが、滑空した末に、橋の下で夕涼みをしていた人々の中に落ちたともいわれます。幸吉は騒ぎを起こしたとして町役人に叱られ、岡山の城下を追われてしまいました。
それは、ドイツのリリエンタールがグライダーで空を飛ぶ、およそ100年前のことです。空を飛びたいという思いは、ときに人を、まだ誰も試したことのない一歩へと押し出してきたのです。
夢に戻る
ニールセンたちの調査は、空を飛ぶ夢が多くの人に共通する夢であることを示しました。フロイトは、その心地よさの奥に、子どものころの体の記憶を見ました。そして羽衣伝説や浮田幸吉の物語には、空へのあこがれが、時代をこえて人の心を動かしてきた跡が残っています。
夢の中で空を飛んだ朝、体が軽く感じられたなら、それはあなたの中にも、昔の人と同じ「もっと自由になりたい」という願いが息づいているしるしなのかもしれません。その願いを、今日の小さな一歩に変えてみてはいかがでしょうか。
空へ放り上げてくれた父の腕と、大人になってから見た空を飛ぶ夢。
空を飛ぶ夢をめぐる創作ストーリーは、こちらの夢物語で読むことができます。
参考文献
- Nielsen, T. A., Zadra, A. L., Simard, V., Saucier, S., Stenstrom, P., Smith, C., & Kuiken, D.(2003)”The Typical Dreams of Canadian University Students.” Dreaming, 13(4), 211–235.
- フロイト『夢判断』高橋義孝訳、新潮文庫
- 『近江国風土記』逸文(余呉湖の羽衣伝説)
- ニッポン旅マガジン「羽衣の松」(https://tabi-mag.jp/sz531/)
- 岡山市「岡山歴史のまちしるべ多言語版(C62鳥人幸吉が奉公した紙屋跡)」(https://www.city.okayama.jp/shisei/0000018344.html)
