
三年一緒に暮らした美紀が引っ越していった日の夜、私はその夢を見た。
夢の中の私は、がらんとした部屋に立っていた。美紀のベッドがあった場所には、床の色の違う四角い跡だけが残っている。二人で選んだソファも、壁に貼っていた旅行の写真も、何もない。窓から差し込む月の光が、空っぽの床を白く照らしていた。
自分の足音が、やけに大きく響いた。
美紀は、大学時代からの親友だった。社会人になって、家賃を折半しようとルームシェアを始めた。楽しかった。仕事で落ち込んだ夜も、リビングに灯りがついているだけで救われた。
その美紀が、結婚することになった。心からおめでとうと言えた。でも、荷物が運び出されていくたびに、胸の中からも何かが一つずつ運び出されていくような気がしていた。
気づくと、部屋の真ん中に、ろくろが一台置かれていた。
その前に、作務衣を着た小柄なおばあさんが座っている。濡れた手で、回るろくろの上の粘土を、ゆっくりと押し広げていた。
「……ここで、何を」
「器をつくっとるんよ」
おばあさんは、手を止めずに答えた。粘土の真ん中に、親指をそっと沈める。すると、土の塊の中に、小さなくぼみが生まれた。
「器ってのはね、どこで役に立つと思う?」
「……形、ですか」
「いいや。真ん中の、何もないところさ」
おばあさんは、くぼみを少しずつ広げていく。粘土の壁が薄く、高く立ち上がり、その内側に、ぽっかりと空間が生まれていった。
「中が詰まっとったら、何も入れられん。空っぽだからこそ、水も、ご飯も、花も受け止められる。昔の中国の偉い人も、そう書き残しとるよ。家だってそうさ。壁の内側が空っぽだから、人が住める」
回るろくろを見つめながら、私はつぶやいた。
「……この部屋、空っぽになっちゃったんです。大事なものが、全部出ていっちゃって」
おばあさんは、ろくろを止めた。できあがったばかりの器を、両手でそっと持ち上げる。
「出ていったんじゃない。場所を空けてくれたんよ」
「場所を……?」
「あんたの友だちは、あんたの暮らしの半分を持っていった。そのぶん、あんたの暮らしに、あんたのための場所ができた。寂しいのは当たり前。三年分の思い出が詰まっとったんだから。でもね、寂しさと一緒に、その空っぽを眺めてごらん」
私は、もう一度部屋を見渡した。何もない床。何もない壁。
さっきまでは、失ったものの跡にしか見えなかった。でも、よく見ると、そこには、まだ何も描かれていない、真っ白な画用紙のような余白が広がっていた。
「昔の禅のお坊さんはね、こう言うたそうな。『本来無一物』。人はもともと、何ひとつ持っとらん。だから、失うことを恐れんでええ」
おばあさんは、できたばかりの器を、私の手のひらに乗せた。まだしっとりと濡れていて、ほんのり温かかった。
「この器に、何を入れるかは、あんたが決めればええ」
目が覚めると、カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。美紀の部屋だった場所は、夢と同じように空っぽだった。
でも、昨夜ほどは、胸が痛まなかった。
その週末、私はホームセンターで、小さな観葉植物を一つ買った。美紀のベッドがあった床の跡の上に、それをそっと置いた。空っぽの部屋の真ん中で、緑の葉が、朝日を受けて揺れていた。
それから、美紀にメッセージを送った。
「新居、落ち着いた? 今度、ご飯行こうね」
すぐに返事が来た。
「行こう! 部屋、寂しくない?」
私は、植物の写真を撮って送った。
「ちょっとずつ、埋めてくよ」
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空っぽの夢が持つ本来の意味についてはこちらの夢占い記事で、空の巣症候群とウィニコットの「一人でいられる能力」、禅の「本来無一物」や『老子』の器の教えについてはこちらの夢ことほぎ記事で、それぞれ詳しく解説しています。

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