
夢の中の私は、真っ白なエステサロンのベッドに横たわっていた。
天井には柔らかな照明。どこからか、ラベンダーの香りが漂ってくる。
「では、お顔のお手入れを始めますね」
エステティシャンの女性が、私の顔にそっと手を伸ばした。けれど、その指が触れたのは、私の頬ではなかった。
私の顔には、薄い仮面がついていた。口角がきれいに上がった、いつも職場で浮かべている、あの笑顔の仮面だった。
エステティシャンは、その仮面を布で丁寧に磨きはじめた。きゅっ、きゅっ。磨くたびに、仮面の笑顔はつやを増していく。
「……痛いです」
思わずそう言うと、エステティシャンは首をかしげた。
「でも、もっときれいにしないと。皆さん、この笑顔を待っていますから」
きゅっ、きゅっ。仮面が光るほど、その下にある本当の顔が、じんじんと熱を帯びていく。
そのとき、ベッドの横から、懐かしい声がした。
「千尋ちゃん。そっちじゃないよ」
祖母だった。祖母は、小さな布の袋を私の手に握らせた。ほんのり温かくて、懐かしい匂いがした。
「こっちは、あんたの顔を洗うためのものだよ」
袋を握ったまま、私はいつのまにか、深い眠りに落ちていった。
――目が覚めると、頬に手を当てていた。もちろん、仮面なんてついていない。
私は、駅ビルの化粧品売り場で働いている。お客様の前では、いつも明るく、にこやかに。それが私の仕事で、得意なことでもあった。
けれど最近、家に帰って鏡を見ると、笑顔の形のまま、顔がこわばっている気がしていた。休みの日も、新しい美容液を試したり、評判のサロンを調べたりして、少しでもきれいでいようと必死だった。
きれいでいなければ、笑顔でいなければ、誰も私を見てくれない気がしていたのだ。
その週末、私は久しぶりに祖母の家を訪ねた。
夕方、祖母はお風呂場で、小さな布袋をお湯にひたしていた。夢で見たのと同じ袋だった。
「おばあちゃん、それ、なに?」
「ぬか袋。お米のぬかを入れてあるの。昔はみんな、これで顔や体を洗ったんだよ」
祖母は、袋でゆっくりと自分の腕をなでた。
「きれいになるため?」
「それもあるけどね」
祖母は、ふふっと笑った。
「一日の終わりに、これで自分をなでてあげるの。今日もよく働いたね、お疲れさま、って。誰も言ってくれなくても、自分で言ってあげられるでしょう」
その言葉を聞いたとき、夢の中の仮面が、頭に浮かんだ。
私はずっと、仮面ばかりを磨いていたのだ。お客様に見せる笑顔、誰かに褒められる肌。その下にある、疲れた本当の顔には、一度も「お疲れさま」を言ってこなかった。
夢の中で、施術が痛かったのも当然だった。私はもう、磨くことよりも、休むことを必要としていたのだ。そして、祖母のぬか袋を握りしめたとたん、あんなにぐっすり眠れた理由も、今ならわかる気がした。
「一つ、もらっていってもいい?」
「いいよ。たくさん作ってあるから」
祖母は、ぬか袋を二つ、私の手に持たせてくれた。
その夜、祖母の家のお風呂で、私はぬか袋で自分の顔を洗った。ほんのりとした温かさが、頬にしみこんでいく。こわばっていた口元が、ゆっくりとほどけていくのがわかった。
「今日もよく頑張ったね。お疲れさま」
小さな声で、自分に言ってみる。少し照れくさくて、でも、胸の奥がじんわりと温かくなった。
次の月曜日、私はいつものように、売り場に立った。お客様に笑いかける。その笑顔は、仮面ではなく、ちゃんと私の顔から生まれていた。
帰り道、私は評判のサロンを予約するのをやめて、代わりに、少し早く眠ることにした。
鏡の中の私は、完璧ではないけれど、前よりずっと、やわらかい顔をしていた。
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