
夢の中の僕は、夜の学校の廊下を走っていた。
背後から、何かがついてくる。ぺた、ぺた、と湿った足音。振り返ると、廊下の暗がりに、黒い影のようなものがうずくまっていた。
形は、はっきりしない。丸いようで、とがっているようでもある。目のようなものが、ひとつ、ぼんやりと光っていた。
僕は、教室に飛び込んで、掃除用具入れの中に隠れた。息をひそめる。足音が、扉の前で止まった。
――すき間から、何かがのぞいている。
そこで、目が覚めた。
同じ夢を見るのは、これで四度目だった。
僕は、市役所で働いている。安定した仕事で、職場の人たちもいい人ばかりだ。不満なんてない。ないはずなのに、ここ最近、理由のわからない胸のもやもやが続いていた。何が不安なのかと聞かれても、うまく答えられない。まるで、あの夢の影のように、正体がつかめないのだ。
週末、大学時代の友人の遥人に誘われて、美術館の妖怪画の展示に出かけた。
江戸時代の絵師が描いたという、ずらりと並んだ妖怪たち。ろくろ首、河童、見たこともない姿のものまで、一体一体に名前が添えられている。
「昔の人ってさ、わけのわからないものに、こうやって名前と姿をつけてたんだって」
遥人が、展示の説明を読みながら言った。
「名前がつくと、ただ怖いだけじゃなくなるんだよな。ほら、こいつなんか、ちょっと間抜けな顔してる」
僕は、ある一枚の絵の前で足を止めた。頭は猿、体は狸、尾は蛇の、鵺という妖怪だった。
「鵺ってさ、退治された側の気持ちを語る能もあるんだって。闇の中でずっとさまよってて、悲しかった、って」
遥人の言葉を聞きながら、ふと、夢の中の影を思い出した。あいつも、何かを伝えたくて、僕を追いかけていたのだろうか。
帰り道、画材屋の前を通りかかった。店先に並んだスケッチブックを見たとき、胸の奥が、ずきんと鳴った。
子どもの頃、僕は絵を描くのが何より好きだった。ノートの端っこに、架空の生き物ばかり描いていた。けれど、進路を決めるとき、「絵じゃ食べていけない」と言われて、それきりやめてしまった。描きたい気持ちは、心の奥の押し入れに、しまい込んだまま忘れていた。
――忘れた、つもりでいた。
その夜、また同じ夢を見た。暗い廊下、湿った足音。僕は走り出しかけて、足を止めた。
振り返る。影は、廊下の真ん中で、じっと僕を見ていた。
「……君は、誰なんだ」
影は、少しずつ近づいてきた。怖くて、足がすくむ。けれど、逃げなかった。
目の前まで来たとき、影は、ふっと小さくなった。よく見ると、それは、子どもの頃の僕がノートの端に描いていた、名前もない架空の生き物にそっくりだった。丸い体に、ひとつ目。とがった耳。
生き物は、僕の足もとにすり寄ってきた。ひんやりしていて、でも、どこか懐かしい手ざわりだった。
「ずっと、ついてきてたんだな」
怖かったのは、知らないものだったからじゃない。本当はよく知っているのに、見ないふりをしてきたものだったからだ。
目が覚めてすぐ、僕は画材屋が開くのを待って、スケッチブックを一冊買った。
最初のページに、夢の生き物を描く。丸い体、ひとつ目、とがった耳。久しぶりに握る鉛筆は、思っていたよりも、ずっと手になじんだ。
絵の横に、名前を書き込んだ。
「モヤ」
いつも胸のあたりでもやもやしていたから、モヤ。少し安直だけれど、描いているうちに、この名前しかない気がした。
それからも、胸のもやもやがすっかり消えたわけではない。けれど、その正体はもうわかっている。もやもやしたら、スケッチブックを開けばいい。そこには、名前のある同居人が、ちゃんと待っているから。
あれ以来、廊下を走る夢は、一度も見ていない。
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