
気づけば私は、見知らぬ古い町の通りを歩いていた。
石畳の両側に、低い瓦屋根の家が並んでいる。行き交う人たちは、みな着物姿だった。けれど不思議なことに、誰の着物も、茶色や鼠色の、無地のように見えるものばかり。通り全体が、秋の枯れ葉のような、落ち着いた色に沈んでいた。
私自身も、いつもと同じ、ベージュのカーディガンに灰色のスカートを着ていた。目立たない服。失敗しない服。誰にも何も言われない服。気づけば、私のクローゼットはそんな色ばかりになっていた。
「お嬢さん、ちょいと寄っていきな」
声をかけられて振り向くと、藍の香りのする染物屋の店先に、手ぬぐいを頭に巻いた職人のおじいさんが座っていた。
「この町の人たち、みんな地味な着物なんですね」
私が言うと、おじいさんは、にやりと笑った。
「地味、ねえ。ほれ、もうちっと近くで見てみな」
おじいさんが、通りを歩いていく女の人の袖を指さした。私は目を凝らした。
息をのんだ。遠目には無地に見えたその着物には、米粒よりも小さな模様が、一面にびっしりと染め抜かれていた。細かな点が集まって、よく見ると、小さな花や、波や、亀の甲羅の形になっている。
隣を歩く男の人の着物も、ただの鼠色ではなかった。髪の毛ほどの細い縞が、光の角度で浮かび上がる。
「小紋ってんだ」
おじいさんは、自慢げに鼻を鳴らした。
「むかし、お上から、派手な着物は着るなってお達しが出てな。そこで町の連中は考えた。遠目には地味でも、近づいた者にだけわかる柄を、こっそり忍ばせりゃいい。目立たなくたって、自分の柄は持てる。それが粋ってもんよ」
目立たなくても、自分の柄は持てる。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていった。私はずっと、目立たないことと、自分をなくすことを、同じだと思っていた。
おじいさんは、店の奥から何枚もの布を持ってきて、台の上に広げた。
「さあ、あんたの柄を選びな」
一枚目は、まっすぐ伸びる麻の葉を組み合わせた模様。
「麻の葉だ。麻はぐんぐん真っすぐ育つ。赤ん坊の産着によく使われたもんだ。これから伸びていきたいやつの柄だな」
二枚目は、穏やかな波がどこまでも重なる模様。
「青海波。穏やかな暮らしが、ずっと続くようにってな」
三枚目は、円がいくつも重なり合い、途切れずにつながっていく模様。
「七宝。人とのご縁が、丸く、切れずに続くようにって柄だ」
私は、三枚の布をじっと見比べた。どれも美しかった。でも、手が自然に伸びたのは、麻の葉だった。
「……これがいいです」
「ほう。伸びたいのかい」
おじいさんに聞かれて、私ははじめて、自分の気持ちに気づいた。本当は、仕事で任されている今の役割から、もう一歩踏み出したかった。新しい企画に手を挙げたいと、ずっと思っていた。けれど、目立つのが怖くて、灰色の服の中に、その気持ちを隠していたのだ。
「柄ってのはな、選んだやつの心がそのまま出るもんだ。あんたの心は、いま、真っすぐ伸びたがってるんだよ」
おじいさんは、麻の葉の布を小さく切り取って、私の手に握らせた。
「全部を派手にする必要はねえ。袖口にちょいと忍ばせるくらいで十分だ。見るやつが見りゃ、ちゃんとわかる」
手の中の小さな布は、藍の香りがして、ほんのりと温かかった。
目が覚めると、窓の外は薄曇りだった。私は、いつものベージュのカーディガンを手に取りかけて、少しだけ迷った。
その日の帰り道、雑貨屋で小さなハンカチを買った。淡い緑色の地に、白い麻の葉模様が細かく染められたもの。派手ではない。遠目には、ただの緑色のハンカチにしか見えない。
でも、私にはわかる。
翌週の会議で、私は新しい企画のリーダーに、手を挙げた。膝の上で握ったハンカチの麻の葉が、そっと背中を押してくれた気がした。
こちらもオススメ
柄の夢が持つ本来の意味についてはこちらの夢占い記事で、ユングのマンダラや江戸の小紋、吉祥文様の由来についてはこちらの夢ことほぎ記事で、それぞれ詳しく解説しています。


コメント