
夢の中で、私は大きな白い画用紙の前に座っていた。
手には、よく削った鉛筆。描きたいものは、ちゃんと頭の中にある。窓辺に咲く花、湯気の立つマグカップ、眠っている猫。それなのに、鉛筆の先を紙に近づけると、手がぴたりと止まってしまう。
ようやく一本、線を引いた。少しだけ曲がってしまった。消しゴムでこする。もう一度引く。また消す。何度も消しているうちに、紙はだんだん毛羽立ち、薄くなって、とうとう小さな穴があいてしまった。
穴の向こうから、何かがのぞいていた。
くるくると渦を巻いた、一本の線だった。
――目が覚めると、隣で、娘のひよりが寝息を立てていた。
私は、昔、絵を描くのが好きだった。中学では美術部で、市のコンクールで賞をもらったこともある。けれど、高校で、自分より上手な人たちに囲まれてから、描くのが怖くなった。描いても、どこかが違う気がして、消してしまう。完成しないまま、スケッチブックはいつの間にか押し入れの奥へしまわれた。
それから十五年。四歳になったひよりは、絵を描くのが大好きだ。
「ママ、おえかきしよう」
日曜日の午後、ひよりがクレヨンの箱を抱えてやってきた。
「ママはいいよ。ひよりが描いて」
「やだ。ママもかくの」
ひよりは、私の前に画用紙を一枚置いた。私は、しかたなく水色のクレヨンを手に取った。何を描こう。ひよりの好きなうさぎにしよう。耳を描いて、顔を描いて。けれど、耳の形がどうしてもうまくいかない。紙の隅を手でこすって、描き直そうとした、そのときだった。
「ママ、けしちゃだめ」
ひよりが、私の手首をつかんだ。
「それ、うさぎじゃなくてもいいよ。くも、みたいだし」
言われてみれば、いびつな耳の形は、ふわふわした雲に見えなくもなかった。
ひよりは、自分の画用紙に、赤いクレヨンでくるくると渦を描いた。何の形でもない、ただの線だった。
「ママ、これになにかかいて」
「え?」
「これ、なにかになるの。ママが、なにかにして」
私は、その赤い渦をしばらく見つめた。カタツムリの殻にも、ぐるぐる巻きのキャンディにも見える。少し迷ってから、渦の下に細い線を足して、小さな目と角を描いた。
「かたつむり!」
ひよりが、手を叩いて笑った。
「じゃあ、こんどはママがかいて。ひよりが、なにかにする」
私は、黄色のクレヨンで、適当にぎざぎざした線を引いた。何を描こうとも考えずに。ひよりは、その線をじっと見て、上にまるい顔を描き足した。
「ライオンの、たてがみ」
それから私たちは、交代で線を描いては、相手の線に描き足していった。ひよりの線は、魚になり、花になり、怒った雲になった。私の線は、山になり、帽子になり、なぜか長い首のきりんになった。
上手いか、下手かなんて、誰も気にしなかった。消しゴムは、一度も使わなかった。
気づけば、窓の外は夕焼けになっていた。床の上には、何枚もの画用紙が散らばっている。その一枚を手に取ると、カタツムリと、ライオンと、きりんと、雲が、ぎゅうぎゅうに詰めこまれた、にぎやかな絵になっていた。
完成、だった。
十五年ぶりに、私は一枚の絵を、最後まで描き終えていた。
「これ、どこにかざる?」
ひよりがたずねた。
「冷蔵庫に貼ろうか」
私たちはマグネットで、その絵を冷蔵庫の真ん中に貼った。いびつで、ごちゃごちゃで、どこにも完璧なところがない絵。それなのに、台所に立つたびに、つい目が行ってしまう。
その夜、また夢を見た。白い画用紙の前に座る夢。
鉛筆を持った手は、今度は止まらなかった。くるくると、何の形でもない線を、紙いっぱいに描いた。描いた線は、紙の上で、ゆっくりとカタツムリになって、のそのそと歩き出した。
私は、消しゴムを机の端に置いたまま、次の線を描きはじめた。
こちらもオススメ
絵を描く夢が持つ本来の意味についてはこちらの夢占い記事で、リュケの子どもの絵の研究やウィニコットの「スクイグル・ゲーム」、ラスコーの洞窟壁画や葛飾北斎の言葉についてはこちらの夢ことほぎ記事で、それぞれ詳しく解説しています。
