
その夢の中で、私は古い家の廊下をひとりで歩いていた。
夜なのに、闇は濃すぎず、白すぎる月明かりが、細く、静かに、床を照らしていた。
障子の桟は影を落とし、風もないのに、どこか遠くで紙が鳴るような気配だけがしている。
不思議と怖くはなかった。
ただ、何かに呼ばれるような、何かを待っていたような、そんな気持ちが胸の奥でかすかに揺れていた。
廊下のつきあたりに、小さな庭が見えた。
石のそばに一輪だけ、名も知らない白い花が咲いている。
その手前で、するり、と細いものが月のひかりを受けた。
白蛇だった。
雪よりやわらかく、絹より淡く、息をひそめたような白。
それは私を威嚇するでもなく、近づくでもなく、ただそこに在る、というふうに静かに身を丸めていた。
目が合った、と思った。
ほんの一瞬だったはずなのに、そのまなざしは不思議なくらい澄んでいて、責めることも、試すことも、急かすこともなかった。
まるで、「もう大丈夫」とも「まだこれから」とも取れるような、やさしく曖昧な光だけを残していた。
私はなぜか、その蛇に見覚えがある気がした。
いつから持っていたのかわからない、不安や迷い、言葉にならない疲れ。
そういうものが、白いかたちを借りて、目の前に現れているようにも思えた。
次の瞬間、白蛇はするすると身をほどき、花のそばをひとまわりして、音もなく庭の奥へ消えていった。
あとには、薄く透ける抜け殻だけが残っていた。
私はそっとそれに触れようとした。
けれど指先が届くより少し前に、抜け殻は朝靄みたいにやわらかくほどけて、月のひかりの中に溶けてしまった。
そこで目が覚めた。
まだ夜明け前だった。
カーテンの隙間から、白に近い青がにじんでいる。
夢の内容ははっきり覚えているのに、胸の中にあった重たいものだけが、きれいに置いていかれたような気がした。
何が変わったのかはわからない。
何かが解決したわけでも、すべてが整ったわけでもない。
それでも、昨日までの私が着ていた見えない殻を、ひとつ、静かに脱いだのだとしたら。
あの白蛇は、奪いに来たのではなく、返しに来てくれたのかもしれない。
朝の光は、もうそこまで来ていた。
私は小さく息をついて、まだ少し冷たい部屋の空気を吸い込む。
そして、理由もなく、今日は少しだけ、いい日にできる気がした。

こちらは蛇の夢を見た人が、その夢の余韻をもう一度味わえるように短編作品としてご用意しました。
楽しんでいただければ幸いです。また今日もあなたに良い夢が訪れることを祈っています。

コメント