
夢の中で、彼女はまだ薄暗い駅前をひとりで歩いていた。
空は青にも灰にもなりきらない色で、朝と夜のあわいが、街の輪郭をぼかしていた。
ふと足元を見ると、白い封筒がひとつ落ちていた。
拾い上げると、中にはきれいにそろった札束が入っている。
新しい紙の匂いが、冷えた空気の中でかすかに立ちのぼり、胸の奥が妙にざわついた。
こんなにあれば、困らない。
こんなにあれば、安心できる。
そう思ったはずなのに、指先は少しもあたたかくならなかった。
彼女は封筒を抱えたまま、人気のない道をゆっくり進んだ。
商店街のシャッターはまだ閉じたまま。
川沿いの風は静かで、細く、頬をなでるように吹いていた。
やがて、小さな橋の真ん中で足が止まる。
そのとき、腕の中の封筒がふわりと軽くなった。
おそるおそる中をのぞくと、札束だと思っていたものは、いつのまにか白い紙片に変わっていた。
どれも空白で、何も書かれていない。
ただ一枚だけ、いちばん上の紙に、小さな文字があった。
「ほんとうに欲しかったものは、何ですか」
その一文を見た瞬間、胸の奥にしまっていたものが、静かにほどけた。
認めてほしかった。
安心したかった。
だいじょうぶだと、誰かに、そして自分に言ってほしかった。
札束に見えたのは、お金ではなく、言えなかった願いだったのかもしれない。
満たされたかった心が、夢の中でいちばんわかりやすい形を借りて、彼女の前に置いたものだったのだ。
彼女は橋の上で立ち止まり、細く息を吐いた。
すると白い紙片は朝風にさらさらと舞い、川面へ落ちることなく、光の中へ溶けるように消えていった。
遠くで、始発列車の音がした。
顔を上げると、空の色が少しだけ明るくなっている。
夜を抜けたばかりの世界は、まだ頼りなく、それでもたしかに新しかった。
目が覚めたあとも、不思議と夢の感触だけが残っていた。
何かを手に入れることよりも、何を求めていたのかに気づくこと。
それだけで、心は少し軽くなる。
朝の光は、思っていたよりやさしく、静かに部屋へ差し込んでいた。

こちらは札束の夢を見た人が、その夢の余韻をもう一度味わえるように短編作品としてご用意しました。
楽しんでいただければ幸いです。また今日もあなたに良い夢が訪れることを祈っています。

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