
夢の中の私は、真っ暗な部屋で、スマホの画面だけを見つめていた。
さっき投稿したばかりの写真が、タイムラインの一番上に表示されている。会社帰りの歩道橋から撮った、オレンジ色の夕焼けだった。
一分たっても、五分たっても、ハートのマークは灰色のままだった。数字は、ずっと「0」。
指が勝手に動いて、ある人のページを開いていた。同じ部署の、湊さんのページ。けれど、並んでいる投稿は、どれも真っ白な四角ばかりだった。写真も、言葉も、何もない。白い画面が、ただずらりと続いている。
そのとき、ぽん、と通知の音が鳴った。湊さんからのメッセージだった。
慌てて開くと、文字がひとつずつ、画面からこぼれ落ちるように消えていく。最後に残ったのは、読めない一文字だけだった。
――目が覚めると、枕元のスマホが、朝の光を映していた。
湊さんは、隣の席の先輩だ。口数は少ないけれど、私が資料作りで行き詰まっていると、何も言わずに付箋を一枚貼っていってくれるような人だった。
私はずっと、湊さんのことが気になっている。けれど、仕事以外で話したことは、ほとんどない。
だから私は、湊さんのページをときどき見に行ってしまう。とはいえ、湊さんは一年に一度くらいしか投稿しない。最後の投稿は、どこかの海の写真で、言葉は何も添えられていなかった。
昼休み、同期の莉子がスマホを見せてくれた。週末に行ったというカフェの写真には、もう百以上の「いいね」がついている。
「遥は最近、何か載せた?」
「……夕焼けの写真なら」
「どれどれ」
莉子が私のページを開く。昨日の夕焼けの写真には、「いいね」が三つだけ。
「いい写真じゃん。もっとタグつければいいのに」
笑ってうなずきながら、胸の奥が少しだけ沈んだ。莉子の写真と自分の写真を、頭の中で並べて比べてしまう。夢の中の灰色のハートが、まだ目の裏に残っていた。
その日の夕方、コピー機の前で湊さんと二人になった。紙が出てくるのを待つあいだ、沈黙が長く感じられる。何か話さなきゃ、と思っているうちに、湊さんのほうが先に口を開いた。
「昨日の夕焼け、あれ、駅前の歩道橋からでしょ」
「え?」
心臓が、跳ねた。
「……見てくれてたんですか」
「うん。いいね、押してないけど」
湊さんは、少し気まずそうに頭をかいた。
「なんか苦手なんだよね、あのボタン。押すと、ちゃんと伝えた気になっちゃうから」
「伝えた気に……」
「本当にいいと思ったものは、直接言いたいっていうか」
湊さんは、出てきたコピーの束をそろえながら、ぼそりと言った。
「きれいだった。あの色」
たったそれだけの言葉なのに、頬が熱くなった。画面に並ぶ百のハートよりも、ずっと重たくて、あたたかかった。
夢の中の、真っ白な湊さんのページを思い出す。あれは、何もない画面ではなかったのかもしれない。湊さんは、大事なことを画面に書かない人なのだ。言葉は、画面の外にちゃんとしまってある。
帰り道、私はスマホを取り出して、湊さんへのメッセージを打ちかけた。
「今日はありがとうございました。今度――」
そこまで打って、指を止めた。そして、全部消した。
次の日の朝、出社してきた湊さんの席まで、私は歩いていった。
「湊さん」
顔を上げた湊さんに、息を吸って、言った。
「今度、あの歩道橋に、一緒に夕焼けを見に行きませんか」
湊さんは、少し驚いた顔をして、それから、ふっと目を細めた。
「いいね」
画面の中ではなく、ちゃんと声で聞こえた、その「いいね」は、私がこれまでにもらったどの「いいね」よりも、まっすぐ胸に届いた。
夢の中で消えてしまったメッセージの、最後の一文字。あれはきっと、画面ではなく、声で受け取るための言葉だったのだと思う。
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