
夢の中で、私の左手の小指には、赤い糸が結ばれていた。
糸は、暗い部屋の奥へと伸びている。その先にいるのが誰なのか、私は知っていた。
手には、銀色のはさみ。糸に刃を当てて、ぷつりと切る。
けれど、切ったはずの糸は、するすると伸びて、また結び目をつくった。何度切っても、同じだった。切るたびに、糸は前より少しだけ太くなっていく。
――目が覚めると、スマホが光っていた。
「いま、近くにいる。会える?」
遼からだった。夜の十一時。私は、返事をする前から、もう自分が会いに行くことを知っていた。
遼とは、七年前に付き合いはじめた。三年で別れて、それからの四年間は、恋人でも友達でもない関係が続いている。遼は、寂しくなると連絡をくれる。私は、そのたびに会いに行く。
その夜も、遼は、私の部屋のソファで、私の髪を指に巻きつけながら笑った。
「やっぱり、お前といると落ち着く」
その言葉に、胸の奥が甘くしびれた。首すじに落ちてくる彼の唇の温度も、知りすぎるほど知っている。七年分の思い出が、ほどけるように私の体をやわらかくしていった。
翌朝、目が覚めると、遼はもういなかった。
テーブルの上に、飲みかけのコーヒーのカップが一つ。「また連絡する」とだけ書かれたメモ。
私は、そのカップを、しばらく洗えなかった。
「それ、もう七年でしょう」
週末、学生時代からの友人の沙耶が、カフェで眉をひそめた。
「好きなの?」
「……分からない。でも、ここまで一緒にいたのに、いまさら手放すのが、もったいない気がして」
口にしてから、自分でも驚いた。好きだから、ではなかった。注いできた時間が惜しいから、私はこの関係にしがみついていたのだ。
沙耶は、黙ってスマホの画面を見せてきた。
「来月、京都に行くの。一緒においで」
京都、東山の安井金比羅宮。境内の真ん中に、白い紙がびっしりと貼られた、大きな石があった。石の真ん中には、人が一人くぐれるほどの穴があいている。
「縁切り縁結び碑っていうの」
沙耶が、形代と呼ばれる白い紙を差し出した。
「ここに願いを書いて、まず、表から裏へくぐる。それで、悪い縁が切れるんだって」
私は、ペンを握ったまま、しばらく動けなかった。それから、ゆっくりと書いた。
――遼との縁を、切ります。
紙を胸に抱いて、石の穴に体をすべりこませた。冷たい石の感触。暗い穴の向こうに、光が見えた。裏側へ抜けると、ふっと、体が軽くなった気がした。
「それで終わりじゃないよ」
沙耶が、笑いながら言った。
「今度は、裏から表へくぐるの。そっちは、良い縁を結ぶほう。切るだけじゃ、片道なんだって」
切るだけでは、片道。
私は、もう一度、穴をくぐった。今度は、裏から表へ。穴を抜けたところで、顔を上げると、秋の空が、高く澄みわたっていた。
形代を石に貼りつけながら、私は思った。私は、七年間、ずっと同じ向きにばかりくぐろうとして、穴の中で立ち止まっていたのかもしれない。切ることも、結ぶことも、できないまま。
その夜、京都の宿で、私は遼にメッセージを送った。
「もう、会わない。七年間、ありがとう」
送信してから、彼の連絡先を消した。指が少し震えた。けれど、涙は出なかった。
その夜、また、あの夢を見た。
小指の赤い糸に、はさみを当てる。ぷつりと切れた糸は、今度は伸びてこなかった。はらりと床に落ちて、そのまま、静かに見えなくなった。
小指に残った、短い糸の端を見つめる。
すると、糸の端が、ほんの少しだけ光った。そして、暗い部屋の奥ではなく、窓の外の、明るいほうへと、細く、細く伸びていった。
その先に誰がいるのかは、まだ分からない。
けれど、今度は、私がくぐる向きを選んだ縁だった。
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縁を切る夢が持つ本来の意味についてはこちらの夢占い記事で、ボウルビィの愛着理論やタシロとフレイジャーの失恋後の成長の研究、三行半や縁切寺、安井金比羅宮の縁切り縁結び碑についてはこちらの夢ことほぎ記事で、それぞれ詳しく解説しています。

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